重里 石川にはそれはないと? 助川 ええ、そこまでの才気は感じません。 龍三や安江などの性格化、シチュエーションには、「蒼氓」でこの作者の示した好みの再現が感じられる。
東北の農民たちに距離を置く知識人っぽい人物。 国家は公共の利益となる事業の為には私人の土地を収用することが出来ると定める土地収用法は、民衆史の上に幾多の悲劇を生んで来たし、今も生み続けている。
助川 秋田の人間がいっぱい出てくるんですね。
まことにきわどい運命のわかれ目だった。
いま生きていたら、アニメの女性キャラのフィギュアーをずらりと部屋に並べてるかもしれません。 美醜とは何かという問いかけ。 第一回芥川賞は、石川達三「蒼氓」、外村繁「草筏」、高見順「故旧忘れ得べき」、衣巻省三「けしかけられた男」、それに太宰治の「逆行」の五作品が候補作と決定、昭和十年八月十日に発表された。
6堀内:• 8日後に予定。 … 石川達三『心に残る人々』 より引用• 勝田の女房:• 同年単行本としてより刊行され、1939年『蒼氓 三部作』としてから刊行、1951年に入り長く読み継がれた。
1930年、石川が移民として渡伯した時のことを描いたもので、題名は民衆を意味する。
実作者が、無意識にか、こういう選択をする、というのはおもしろいですね。
この頃の私は、「夏だ、海だ、タツローだ!」というイメージにまんまと飲み込まれ、達郎のことを洗練されたリゾートソングの作り手くらいにしか受け止めていなかった。
あのとき生後数カ月であった女の子は結婚して孫もあるというのに、六十を過ぎて、事は志のようには行かなかったらしい。
けれどもそういう点だけから、現代日本の閉鎖的なムードを語ってしまうと、大事なポイントを見落としてしまう気がします。
他の作品を良く知っていれば、この作品からも「太宰らしさ」を評価することはできると思いますが。 僕は『蒼氓』に登場する彼らのような人間性が好きだ。 そのループは、どこから来て、どこへ向かうのかわからぬまま続く、人生の歩みを投影しているかのようだ。
18倫理も思想も問わない社会派 重里 さて、この『蒼氓』という小説は、しばしば「社会派」と評されます。 なんという長期的配慮だろう。
吉田:• 助川 恋愛も「価値観」とかかわってきますよね。
社会にカメラを向けてはいるのですが、価値に対する思いを少なくても作家は自覚していない。
四つ目が哲学、人間は何のために生きるのか、人生は何のためにあるのか、生きる意味とは何か。 … 石川達三『心に残る人々』 より引用• 文学のこととしてみれば、その作品は、当時の文学精神を強く支配し始めていた所謂意欲的な創作意図の一典型としてみられる性質の作品であった。
11名も無き 蒼氓 そうぼう一人一人にとっては、それは常に抗すすべなき強権として発動される性質のものだからだ。 これといった特定の主人公のいない群像小説で、移民を志す東北の貧しい農民たちを描いています。
それで、アンケートに答えて「候補作はせめて自分で選ばせてほしい」といったようなことを書いていた記憶があります。
ところが、ここでも、タテマエとホンネが分裂しているというか。
ただ、『蒼氓』の舞台になっている一九三〇年代は、日本の人口が増え続けている時代です。
「氓」というのは初めて見る字である。
読んでいるからまだ分かるが、聞くとなると半分くらいしか理解出来ないかもしれない。
重里 日本もそのうち、移民が来るだけじゃなく、移民を出す国に再び、なるのではないかと、ときどき考えます。 88年、この曲が世に出された直後に、「平成」の幕は開いた。 達郎と同じく、もがきながらも生活という営みを引き受け、明日へと進んでいく無数の民へ捧げる歌だ。
12政治思想を掲げて社会状況を糾弾する小説は、危険すぎて公表できなかったのでしょう。 この曲は、「無名性、匿名性への熱烈な賛歌」として作られたという。
… 石川達三『心に残る人々』 より引用• 勝田の婿:• そんなことを考えて、対談を続けることにしました。
私もこの作品の中で石川にいちばん近いのは、小水だろうという印象を受けました。
他の移民たちとともに45日間の船旅ののち、「サント・アントニオ農場」にコロノ(契約移民)として入植し、1か月ほどで農場を去ってサンパウロに滞在し、リオデジャネイロから北米を回って帰国した。 つまり価値観は相当リベラル。
どうしてこうなるのか。
重里 おそらく論文も、『逆光』より『蒼氓』の方が書きやすいでしょう。